大離れと小離れ
平田 治
弓を引く動作の中で「離れ」については「大離れ」「小離れ」の2通りが知られていると思います。また 江戸時代は 小離れ、現代は 大離れ という話を聞いた事があります。
大離れの原理 現在、主流の射法は胴体を 的と体の線 に
両肩の線 が平行になる「三重十文字」に引き分け「大離れ」で 矢を放す という引き方だと思います。
では「小離れ」とはどういう引き方か?大概の人は「会に至った時の伸び合いが足りなくて勢いがないか リキんでいるため動きも小さい離れ」と思われているかもしれません。 これは射法の原理は1つしかない(射法とは上記の骨と筋肉の連携方法しかありえない)もしくは、和弓という同じ道具を使うならその引き方が1つであるのは道理であり、弓道の各流派によって引き方に違いはあるのは弓を引く時の状況想定による問題で違っているのであって、力の使い方での合理性は大同小異なのだろう と言い換える事もできそうです。 小離れに分類できる射法 さて、ここで話が変わりますが 私自身の経験では八分 ⇒ 九分へ弓力を上げる時に上限(天井)にぶつかり、試行錯誤して引き方を見つけてみると、逆に「これはどういう力の使い方なのか理屈で説明できない」「この方法は一般的な(正しい?)のだろうか」とさらに疑問が増え、解決法として昔の文献で該当する記述が無いか探すと「胸の中筋に従い宜しく左右に分かるる如くこれを離つべし(射法訓)」「肘の力を抜く(弓と禅)」「縦一文字 横一文字(一貫流射則)」と 今まで普通に目にしていた文章がそのものであったという事がありました。 せっかく先人が残してくれた文章もその意味を汲み取れず(どう解釈したら三重十文字になるのか?と不思議に思っただけで放置して)、また 師匠に付き「師の言葉には絶対服従」をしていれば2,3カ月で体が覚えていたモノを我流で突き進んで10年以上苦労したという要領の悪さを嘆いたモノです「愚考後悔先に立たず」ことわざ通りです。まあ一寸の弓の引き方を知る師匠はおらんでしたが また、この引き方を大離れの時のように模式的に考えると、支点は「胸の中筋」になるので勝手が矢を番えている点(力点)との位置関係や力の方向から見て会で伸び合っていても離れの反動で勝手が動く事はなく「小離れ」になります。他にも原理的に小離れになる射法はあるのかもしれません。 小離れしかない時代に「なぜ大離れが発明されたのか?」については現代の射法の説明でも分かり易いように 骨と筋肉という体の部品ごとに動きの役割を分離すると弓を引く運動というものを理解しやすいからでは?と考えます。 逆に小離れのメリットは?と聞かれると 想像の域 でしかありませんが、私の場合は
強弓を引くため 江戸時代では1日に500本,1000本の矢数を掛けるため 高齢の人は練習の負荷に耐える(弓力を落とさない)ため?
と ”体への負担軽減” が1つ考えうるかもしれないと思います。 「大離れ」でも一寸の弓が引けるか?という疑問について 以前 弓力を九分に上げた時、射法を小離れに切り替えたため達成できたのは前述の通りですが、九分の弓を引くために必要な力加減の目星がついたので、試しに肘の力(大離れ)で引いてみてやろうと実験してみたコトがありました。結果は九分の弓の弓力を肘で受けとめた瞬間「ブチっ」という音が両肘裏の筋肉からしたので慌てて戻し、その日の練習は切り上げて、肘裏・脇の下・肩甲骨の上 と痛みのする3箇所(左右の計6箇所)に冷シップを張って 一日安静にして コト無きを得た という事があります。以来懲りて再挑戦はしていません。
昔の文献を読めば、無駄な努力を省略できる? 江戸時代などの古文献を読んだ人の感想でよく聞くのは「(目新しい事は)特に何も書いてなかった」というものですが、昔の技術書は 今の文章の書き方と違い、体の動かし方などで万人共通だと思える基本的な事以外の各個人で意見が変わるようなコツ的なモノは自分で見つけろ。の意図があり、考え方の方向性や雰囲気(イメージ)は書いてくれるが、現代のような理論展開が重要視される文章ではないようで、具体的な方法の記述は皆無です。それ故に 知りたい事が何も書いてなかった という感想なのでしょう。 一貫流の文献中でも初代さんは「よく知る人に尋ねるべし」と文を切り、二代目先生は「以下口伝」と片づけ、八代目の河毛先生は「各自 発明 発見あるのみ」と流しています 他にも「自説を蝶々と喋るは後進の育成に百害あって一利なし」という記述もあり、弓の引き方は人それぞれのコツに相当するモノ喋っちゃならねぇと考えられているようです。これはむしろ「こういう書き方が流行なんだ」とするより「深く追及する文章を避けている」と考える方が文献の知識を活用しやすいと思います。
今の世情で例えると「この先生とあの先生は言ってる事が正反対でどっちが正しいか分からない」という話をよく聞ますが、今は事の正誤にかかわらず全ての情報を出して並べる事が美徳。の風潮があるようですし「私も昔そうだったな」と思う所もあります。しかし
その結果 混乱する人が出る事を情報の提供側が意識してフォローしていない事も事実でしょう。 話を戻して 深く追求する事を避ける表現を他の文献や一般論で相当する単語が何かないだろうか?と探すと、これは俗に言う「奥義・秘伝」といわれているモノと同等なのではなかろうか?と思い当たります。 たとえば一貫流の文献の中で河毛先生の書物には「冥途の矢は的中の秘伝。的中は心の技術」という「秘伝」に関する記述があります。この文章で説明するなら、まず冥途の矢は「的中の秘伝」と(この文章ヤバいよ)の断わりがあり、これを無理ヤリ説明するとすれば「的中は心の技術」という以外の表現ができない上 万人共通の理念ではなくなり個人的なコツになるから これ以上細かく表現できない。と文を切っているのだろう思います。 他にも剣術書などで「奥義・秘伝として技の名前や雑なポーズ絵は書いてあるがその説明が一切されてない」と文献を読んだ人がグチってる事がある等もコレ以上説明を入れると万人共通ではなくなり個人的なコツになるから表現できない 後は各自 発明 発見あるのみ と解釈すると「そういう事なら、こんな雑な記述でも(方向性が分かれば)いいのか」と納得もできます。 こうなると「奥義・秘伝」という単語は今の小説などで必殺技の名前などに使われている技術の格付けという意味の言葉ではなく、昔は人間社会の中で安全に技術伝達するための表現方法という位置付けにも考えられます。 しかし現実問題、技術を習得しようと尋ねてくる者はそれこそ死に物狂いで情報を集めて獲得しようとするので、いくら「役に立たないから」と断っても「それでもいいから」とか「判断するのはオレだ」と無理強いしてきて聞き出す事に成功したとして、今度は逆に「百害あって一利なし」で自爆する事が目に見えている。さらにタチが悪いと逆恨みなどで人間関係も荒れる。それを回避する知恵として「奥義・秘伝」という言葉が 発明 使用されたのではなかろうか?という事です。 以前、安齋先生の「貞丈雑記」に「奥義」という言葉の意味が5つあると紹介した内容に
とある内、5つ目の箇条などは「絶伝させたいなら 奥義 なんて言葉を使わず、喋らない 使わないのが普通だろう?」と奇妙な行動に受け取れます。1〜4の箇条についても当の本人は人間関係の悪化を回避する意図で言葉を使用しているだけ。しかし、安齋先生は 迂闊に「奥義」なんて言葉を乱用すると こう見えるぞ。(客観的に) と警告しているのかもしれません。 また、吉見順正先生の射法訓で「弓手三分の二弦を押し、馬手三分の一弓を引き」という表現は上記に照らせば先生自身のコツであり、コツとは本来 自分独自の体の操作方法であるから書くべきではない。という事になります。しかしながら、この吉見先生のコツは射癖の矯正にはけっこう便利なので私自身よく使うし、色々な人が色々な言葉で評価されているのを聞くため、ある意味 万人共通とも言い得て コレはコレでOKなのかな と、一概にコツかも知れないものを全部書いてはダメ。とも言えず 何とも その判断は難しいものです。
あとがきに代えて 今回の本題とは違いますが「的に矢を向ける意味を知り、その上で矢を放てるか?」これは 弓道の…さらに言えば弓という道具を使う上での最終問題でしょう。
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