LastUpDate:19/11/01.
矢色〜矢の構造
平田 治

前回に引き続き 雑談 です。
今回は現在使われている「矢色」という言葉の意味が先人のネーミングセンスと違う気がする?という疑惑と、これにチョットからむ話として 「矢」の構造(矢があの形:シルエットである理由)を考えてみました。

矢色

現在、弓道用語として使われている「矢色」という言葉の意味は「的に向けて飛んでいく矢筋が揺れる事」 これを「矢色が出る」と言っています。射癖を戒める言葉として重要な意味を持つ事に違いはないですし、一通り考察してみた後で見ても、現在の”言葉”の意味 は 昔にも 存在していた と思います。

ただ個人的な感想として 「矢が飛んでいく最中に”揺れる”もしくは”渦を巻く”ように見える事が なぜ”色”なのだろう?」 昔の人なら もう少し別の”表現”を使うような気がする と 引っかかる”言葉”です。

つまり普段 古い文献を読み漁っていて その中に出てくる先人の表現力、言葉のセンスの感覚からすれば”斯くあるべき”と思う 先人の名付け方と今の使い方との差が「しっくりと来ない?」 私の中でそんな印象がぬぐえない言葉になっています。(著者と自分との間に技術差や経験差がある事が原因で、文章や単語で表現された技術・経験に対応する内容に心当たりがない、理解できない。という違和感を感じるのでしょう

古文献を読む時に この違和感 をスルーすると、”その文章のキモ”を読み出し損ねる。という致命傷モノの失敗になるため、読む人は結構気を遣う所で  今回もそこを察知するアンテナが反応した事を無視できなかった。という事かもしれません。

さて、「矢色」という言葉が いつから言われ始めたのか調べみると 弓身抄(「安斎雑考」より)の中には”射癖” として「泳ぐ矢:手先より放れる事「矢色:片放れ(が原因)と似た意味の悪癖が2通りの表現で見つかります。

また、一貫流の書籍には 「矢色ノ事」として
「これは射放って矢行の鈍利曲直を云ふ事なれども、矢行きと云はず矢色と云ふなり。弓気身一致同和して放れ最上なるときは矢勢尖くして言語に述べかたき勢あり。これも矢色と云ふ。勿論放れ節中を得さるときは矢の出悪くして矢色と云ふに至らず矢の出正利運勢の場に矢色あり。修練の効を積めば自然己が眼にも見ゆべし。」 とあります。こちらを見ると 引き方が悪い意味じゃなく、良い意味に使われていた。と考えられます。

「色」という漢字の意味を中国語辞典で見ると 「状態、様子」という意味も持っているようですので、現在では 射癖の意味だけ が残っているという事なのかもしれません。(外来語(中国語)ゆえに感性が日本人のものとズレるのだろうか?とも考えましたが、今の所、矢色という用語を中国の射法書から見つけられてはいません)

また、もう一方の「泳ぐ矢」という表現は、”揺れる”もしくは”渦を巻く”ように見える事の名付けとして昔の文章に出てきそうな言葉のセンスを感じました。

とりあえず結論

「矢色」という言葉の使用方法が今現在の意味(矢筋が揺れる事)だけでは、弓の練習の初心者の人達だけにしか用のない言葉になりがちになってしまう上、”先人の名付けのセンスを味わう” ことも無い ならば 弓を引くことの楽しみ も半減してしまうのではないかな?と思います。

そこで「矢色」という表現 以外に「泳ぐ矢」という表現 も日常の練習に取り入れてみてはいかがでしょうか?

矢の構造

以前 記した文章に、矢を放ってから安土に到達するまでに矢は2,3回転(もしくは2回転半)する。というモノがありました。

昔から言われている話な上、自分で矢を放った時 (”失敗”とまでは いかなくとも)少し色が出たなと思う時に、矢が螺旋を描いて飛んでいく螺旋の回転数をカウントすると「まぁそんなモノか。」と納得できる数なので あまり疑った事はありませんでした。

しかし 改めてこの「矢の回転」の問題だけ考えてみると、自分でも完全に”放れ”を失敗して片放れになった時は 10回転はしてるのじゃないだろうか?と感じる時もあり、かならずしも確定した数ではなさそうです。自分自身「意外と根拠のない イイ加減な数字なんだな。」と実感したので もう少しだけ掘り下げてみようと思います。

まず、羽の付いてない”棒矢”を考えた場合、弓力が5Kg以下の弓で棒矢を飛ばすと、矢はプロペラのように回転する飛び方をします。

注意:川土手に生えている笹竹で弓と箭を作れば簡単に実験できますが、(私自身、子供の頃に 散々やったけど) 40年以上前と違い 現在では 都市部の川土手はそこまで(笹竹が生え放題なほど)管理放置されていない。周りの安全に配慮して実験するには場所を選ぶ必要がある。など、行うならば現在では何かと問題がありますので個人の責任で周囲に十分安全を確保して実験を行ってください。
(参考までに:この脅威度を現在に当てはめると、”子供がフリスビーを飛ばして遊んでいる” レベルではあるのですが、絶対に事故が起こらないレベルでもありません)

この棒矢の場合に対し、今度は矢に羽を付けて飛ばす場合を考えます。

まず仮に矢の進行方向に対し矢軸が直角になるように飛ばす(矢に対し垂直に空気抵抗をかける)とすると、矢先よりも 羽の付いた筈側の方に 強い空気抵抗力がかかる事が分かります。

次に実際に的に向けて飛ばした場合でも 矢が真っすぐ 的に飛んで”行かずに”少しでも矢の進行方向に対し矢の軸線が斜めに飛ぶことがあれば、矢先と筈側(羽)にかかる空気抵抗には差が生まれ、矢の軌道を修正する(空気抵抗が少なくなるように)力がかかる事になります。

ついでに 3枚羽の様に羽の方向をそろえる矧ぎ方をした矢では この空気抵抗による軌道修正の力は 矢が回転する力にもなり、結果として ”矢が回転する際に働く力のうち一番大きい力” でもあります。

実際に どれくらいの空気抵抗があるか を実験してみました。
棒矢と3枚羽の矢を同じ力で飛ばした比較ですが、空気抵抗を分かりやするするためプロペラのように回転する飛ばし方をして比較しています。

棒矢(空気抵抗なし) 3枚羽矢(空気抵抗あり)

棒矢の場合は2,3回転以上しながら飛んでいくのに対し、3枚羽の方は1回転?ぐらいから失速している事が見えると思います。

以上の事を鑑みると、矢という道具において 羽による的中精度の向上は 矢の周りの気流の流れを羽で調整して的に至るまでの障害になる空気抵抗を減らすのではなく、矢先側と筈側の空気抵抗の偏差を作り出す事で常に矢先が的に向くように矢の軸線を調整する事と言えます。

これは同じ人間が飛ばした矢であっても的に向かって真っすぐに飛んでいない時は羽にかかる空気抵抗により軌道修正がかかる事になり、逆に真っすぐ的に向かって直線に飛ぶ程 軌道修正がない事になります。

この空気抵抗を使った軌道修正を連続する事によって少々の”射損じ” でも 矢の方向を修正して、的中率を向上させる(見かけは渦を巻くように飛んでいく。プロペラのような縦回転を始めさせない)事が出来ます。

この理屈で言えば、古今東西、国や歴史を問わず矢という道具が箆の長短、羽の枚数や大小の違いはあっても そのシルエットに大差がない理由は、

「羽」によって 矢先側と筈側の空気抵抗の偏差を生み 軌道修正する機能が万国共通な事。さらに強いて言えば羽の付け所が 矢先側でもなく、矢先側と筈側の2箇所でもなく、必ず筈側だけに付けるのが一番効率的であったためなのでしょう。

また、丈夫であったり 軽量であることを好まれることはあっても この機能が果たされるのであれば、必ずしも鳥の羽である必要はなく、
人工の素材などに取り換えたとしても、この理屈を抑えれば  その必要を満たすのだろう と思います。(今の時点で、人工の素材では鳥の羽ほどの性能を出せないそうですが、今後 素材の性能が上がった時、鳥の羽にこだわり続ける意味は文化・歴史遺産の保護?位になってしまうのかもしれません)

冒頭の矢が安土に到達するまでに矢は2,3回転(もしくは2回転半)する。という話をこの考察を踏まえて修正するならば、放れが悪く 矢が的に向かって斜めに飛んで行く人は矢が安土に到達するまでに10回転ぐらいしているかもしれない。普通に放れに成功して矢が山なりを描いて真っすぐ的に届くぐらいの曲線の軌道であるなら2,3回転はしているのだろう。また、矢色もよく、的に向かって真っすぐ直線のように矢を飛ばす事ができると(空気抵抗が一番少ない状態だと)矢は1回転もしない事がありえる と思います。(普通の弓力の人でも時々話も聞きますし、私の感想では弓力が7分:40Kg 以上位あれば(近的場ぐらいの距離なら)割と再現しやすいと思います)

結論として、安土に矢が届くまでに回転する回数を正確に言うなれば、放れの成功の如何により 0回(無回転) 〜 10回 以上 回転する。というコト。そして、0回転が最良なのは言うまでもないが、2,3回転までが”普通の放れ”としての合格ライン。それより多いと射癖として”直すべき”なのでしょう。(「いや、私は”1回転半”しかしてないぜ!」という人は、さらにガンバって0回転を目指してください。という事です)

あとがき

練習中、”矢勢のイイ矢”が出た。と感じた時を思い出して色々考えてみると、矢の箆の色が普段 矢が飛んで行く時に見ている色より”暗め”の色をしているように感じます。(普段は矢が飛んだ時間が短い事や、いつもの山なり軌道で飛ばなかった事の方に気を取られてスルーしがちなのですが

これを見て「矢が1回転もしてないなら (回転による)光の乱反射も起こらない という事だろうか」と考えれば
「良い”矢色”ってコレ(暗めの色)の事か? 矢色って本当に”色”の事なのかもしれない」 と、先人のネーミングセンスの奥深さを感じ、感動してやみません。