LastUpDate:06/02/01
古流射法 - 龍之口 編集後記
平田 治
 

理論崩壊

本編を公開して この一年の間に色々と拝見した弓書の中で道雪派の方が書かれたモノの一節に 「付け」 として右手(弽)を肩に付ける事(本編の言う龍之口)についての文章がありました。

この中に前回掲載した内容とまったく違う論が出てきましたので、取り急ぎご報告します。

該当の文章を要約すると以下の通りです。

文章の紹介に当たって、本来は原文をそのまま抜粋する事が望ましい。と私自身考えておりますが、著作権など昨今の取締りの厳しさ、許諾を貰う事へのわだかまり(面倒くささを嫌ったような気もしますが)から要約を紹介させて頂きます。あしからずご了承ください。

(一部抜粋) 右手が付くという事は、生まれつきの体格によって付けられるならば非常によいのであって、上手巧者が付けを行えるならばこれに越したことはないというのである。
大方の射手(まだその境地に達していない射手)は付けをしようとは考えない事である。
その理由は、初心者の射手の場合、付けを行おうとすれば、右の肩節などが出て、左の肩は控えてしまい自然三角になり、胴が曲がってしまうからである。これがよくない。

また、おおかたの射手の場合は、もし無理なく付けがよくついて 左の肩が控えなかったとしても、必ず右の肩が弛むものである。

右の肩は持出しやすく、左の肩は持出しにくいものである。左の肩を持出さんとすれば、肩は差してしまう。これでは意味がない。左の肩は落ちても、生まれつきのまま持出さずともよろしい。しかし同じことならば、落ちて持出したのがよろしい。

原典) 全日本弓道連盟会長 宇野要三郎監修 現代弓道講座(2)射法編(上) 日置流道雪派射法 金子清則 著

つまり本編で公開した龍之口は、初心者用に教えられていたモノであって、今現在においても、比較的容易に教わることが出来うる、多くの人が知るモノではあるけれど、最終的に目指していく龍之口の型とはちょっと違う。という事でしょうか?

言い換えると、現在の射法と三角射法(徳川期の射風)の違いらしい違いといえば、顔の上に矢が来る事と、人によっては左肩が落ち、また、右手が付く。ということになります。
これはそのまま本編の理論がかなり崩れた事になりますが、そこはそれ、そこの辺りを整理し、考え方の地ならしする事が今後の課題になるのでしょう。







(言われてみればあるにはあった)  疑 問                                       

三角射法が左右の力のバランスを均等にすることを余り意識しないとしても、一貫流では(連盟でいう)「徳川期の射風」の時代から左右均等に引き分ける事を重要視してきたことは間違いのない話ですが、
あの(三角射法の左右不均等の)引き方で

可能だろうか?

という疑問があるにはあったのです。

つまり、三角射法自体 その体勢が以前公開した通り 左肩が控えた状態では、その体勢に左右均等性はありません。

この状態でなお、左右均等に力を加えるには、どうバランスを取ったものか?
もはや慣れに頼るほか無いような気がして、「慣れなのかなぁ?」と、自分を無理やり納得させていたような。。。いなかったような。。。







発見? 幻の河毛先生の射形 (仮)←この辺が弱い

この文章を発見したことは「持論が崩れた」という悲しい事ばかりではありません。
今回、龍之口について教えて頂いた方々のうち、一貫流関係者に限定すれば、申し合せでもあるかのように、決まって口をそろえて言われる言葉で、「本当の一貫流はこうではないけれど。。。」とか、「河毛先生の射形はだれも真似できなかった。」と聞きます。

(参考: 流派概説 → 一貫流伝

しかし、ちょっと聞きしたところでは「おかしな話」に聞こえないでしょうか?
普通、他人への説明に「こうではないけれど」という方をわざわざ教える事は無いものですし、実際に「真似できなかった」と現在に記録を残している方々についても、実際に先生の射形をその眼で見て、先生の射形に近づく努力はかなり行われています。
それでも出来ないとなれば、河毛先生は かなり特殊な身体構造の持ち主 のようにも感じます。しかし、一個人の我流なら話は別ですが、関節の稼動範囲の違いなどを流派として限定すると伝承が立ち行かないため、この可能性は限りなくゼロに近いと思います。

では、実際に現在写真などに残っている形(いわゆる「真似出来ていない」形)が本当の形と違うという所は、具体的にどういう所でしょう?

他に指摘されている方もおられますが、おそらく 「河毛先生の射形はだれも真似できなかった」 のは射おさめた引合(日弓連でいう「会」)の形が真似できない。というモノだと思います。その違いが真似ようと努力しても真似できない。これは河毛先生個人特有の体格によるモノでしょうか?それとも技術的な経験差でしょうか?一貫流関係者の方々の話しぶりを聞いていると前者のような感じですが、その実態は見当も付かないというところで行き詰っていました。

 

ここで話を冒頭の「道雪派の方の文章」に戻します。
この文章を読んだ時は、三角射法でも肩を矢に平行にするんだ。と、古い写真がそれほど左肩が控えていない事(→ 自分が立てた理屈と合わない疑問?)にようやく納得いった感動と、それは そう簡単には出来るモノでない。という内容が「河毛先生の射形はだれも真似できなかった」という一貫流関係者の言葉と微妙に響き合い、今まで紹介してきた引き方(龍之口)は「ある意味 実際に行われていた(間違っていない)ものである反面、正解ではない側面を持つモノではないだろうか?」と、絶対解けそうにない と思っていたパズルのピースがぴったりはまった感覚を覚えたものです。

つまり本編で公開した龍之口は一貫流でも初心者用として教えられていたモノであって、先生級の人たちのする最終形"龍之口"はそう簡単には出来るモノでないという事が、当時、河毛先生に指導を受けていた方々の視点から見て「本当の一貫流はこうではないけれど。。。」とか「河毛先生の射形はだれも真似できなかった」と表現されていた。ということでしょうか?


しかしながら、実際問題として、これをこのまま「河毛先生の射形ではないか」と鵜呑みにする事が良いことかどうかは別問題です。もちろん、昔の情報がどんどん減っていっている現在において、たいへん有力な情報です。今後、もし河毛先生の射形と謂われる様な写真が(もし、ピンボケや劣化の激しい状態で)見つかった際には、この情報は検証材料としてたいへん重要になる事は間違いないでしょう。









 

本編が編集、公開されて1年が経過しました。公開直後には、さらに書き加えることや、いまだ腹の底に渦巻いている疑問など、思い当たる事は総て出し切った状態だと思っていました。さらに本編の編集には1年ほど寝かし期間を置くなど十分に内容の吟味を行い、 間違いのないつもりでおりましたが、たった1年で脆くも崩れ始めました。吟味期間が足らなかった?もしくは、試行錯誤は一生終わらないもの。そんな気がしております。







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