平田 治 |
理論崩壊
(言われてみればあるにはあった) 疑 問
三角射法が左右の力のバランスを均等にすることを余り意識しないとしても、一貫流では(連盟でいう)「徳川期の射風」の時代から左右均等に引き分ける事を重要視してきたことは間違いのない話ですが、 可能だろうか? という疑問があるにはあったのです。 つまり、三角射法自体 その体勢が以前公開した通り 左肩が控えた状態では、その体勢に左右均等性はありません。
この状態でなお、左右均等に力を加えるには、どうバランスを取ったものか? |
発見? 幻の河毛先生の射形 (仮)←この辺が弱い
この文章を発見したことは「持論が崩れた」という悲しい事ばかりではありません。 (参考: 流派概説 → 一貫流伝) しかし、ちょっと聞きしたところでは「おかしな話」に聞こえないでしょうか? では、実際に現在写真などに残っている形(いわゆる「真似出来ていない」形)が本当の形と違うという所は、具体的にどういう所でしょう? 他に指摘されている方もおられますが、おそらく 「河毛先生の射形はだれも真似できなかった」 のは射おさめた引合(日弓連でいう「会」)の形が真似できない。というモノだと思います。その違いが真似ようと努力しても真似できない。これは河毛先生個人特有の体格によるモノでしょうか?それとも技術的な経験差でしょうか?一貫流関係者の方々の話しぶりを聞いていると前者のような感じですが、その実態は見当も付かないというところで行き詰っていました。
ここで話を冒頭の「道雪派の方の文章」に戻します。 つまり本編で公開した龍之口は一貫流でも初心者用として教えられていたモノであって、先生級の人たちのする最終形"龍之口"はそう簡単には出来るモノでないという事が、当時、河毛先生に指導を受けていた方々の視点から見て「本当の一貫流はこうではないけれど。。。」とか「河毛先生の射形はだれも真似できなかった」と表現されていた。ということでしょうか?
しかしながら、実際問題として、これをこのまま「河毛先生の射形ではないか」と鵜呑みにする事が良いことかどうかは別問題です。もちろん、昔の情報がどんどん減っていっている現在において、たいへん有力な情報です。今後、もし河毛先生の射形と謂われる様な写真が(もし、ピンボケや劣化の激しい状態で)見つかった際には、この情報は検証材料としてたいへん重要になる事は間違いないでしょう。 |
本編が編集、公開されて1年が経過しました。公開直後には、さらに書き加えることや、いまだ腹の底に渦巻いている疑問など、思い当たる事は総て出し切った状態だと思っていました。さらに本編の編集には1年ほど寝かし期間を置くなど十分に内容の吟味を行い、 間違いのないつもりでおりましたが、たった1年で脆くも崩れ始めました。吟味期間が足らなかった?もしくは、試行錯誤は一生終わらないもの。そんな気がしております。 |