LastUpDate:04/12/11
古流射法 - 龍之口
平田 治
 
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結び (とりあえず中間報告)

以上からみると、冒頭に上げた疑問「参考までに知りたくてもほとんど目に触れることも出来ない」ということは、むしろ「(2つの射法の基本的な違いを知らずに)下手に知って余計な混乱を招かないように」という親切心ゆえなのかも知れません。
実際、私も均等射法で練習している時に「一貫流は正式には掛かる胴で小離れをしないと正しくない」と指摘を受けることがありますが、それは三角射法ゆえの特徴なのであって均等射法への指摘としてはおかしい事になってしまいます。
他にも「うちの流派では本当は押手の肩を下げて、勝手の肩を上げなきゃならんらしい…」と言う話を聞いたことがありましたが、この研究で出てきた結論で話をする限り、三角射法を練習していないなら、気にしなくてもよいという事になると思います。(この場合では、やるとむしろまずいでしょう)


旧時主流であり、弓を押すという事に関しては、もっとも合理的にみえる三角射法ですが、戦後、文部省(現在の文部科学省)の主導で立ち上がった(均等射法をもってする)現在の主流にその座を譲るに至った理由は「体勢に無理があり身体の育成に悪い影響がある」からだと聞いています。
事実、私の先生も鳥取一中時代の指導方法の思い出として「骨格矯正をかなり無理やり行い、形を作った。その過程で中にはとうとう出来ない人もいた」と言われていますから、文部省の言い分は実情として間違いの無い話だと思います。しかし、今回の研究を見て思う事には、指導時に「正しい形を覚えること」だけに依存せず、「射法が何ゆえにそのカタチであるか」について少しでも理解させる指導があれば、極端に批判されるほど「形」を成し得なかった人は多くなかったようにも思いますが、それは無理な話だったのでしょうか。


私は弓道入門にあたって均等射法を学びましたが、やっぱりというか、それが当然なことであるかのように「射法が何ゆえにそのカタチであるか」よりも「正しい形を覚えること」から学びました。
もっとも、武芸に限らず絵画、音楽、…など凡そ「芸」に関するものは、まず先に頭に思い描くものを正しく体で再現できることを学びます。その次に何を考えて行動できるか?に移る訳ですから、弓の「芸」において先に覚える事は、「見本」を見て、そっくり真似られるか?というものなのかもしれません。

どうする事が一番いい方法かを論ずることはここでは横に置いておくとして、現在の方針に至った理由としては前述から類推すると「今後は均等射法を教えていくにしても結局のところ最初はカタチで教えるのだろうし、それなら均等射法の方が(自由度が高いから)、三角射法ほど悲惨な状況には陥らないのではないだろうか?」という配慮があったということでしょうか。それとも、本当のところは私にはうかがい知ることは出来ません。

まあ、それはそれとして今回は、龍之口をする古流射法がいかなるものか。について僭越ながら一考させて頂き、また、とりあえずは再現するに至る事ができたと思います。射法についての考察は、いつまでやっても「これで終わり」と言うことは無いでしょうが、今回はひとまずこれにて筆を置きたいと思います。

 
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